焼酎の歴史 -焼酎 知る・学ぶ-


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日本への伝播説

14 世紀以降に、中国大陸や東南アジアで製造されていた蒸留酒が、どのように日本へ伝来されたかについては、次の4つの説が有力とされています。
1.インドシナ半島 ▶ 琉球経路説(最有力説)
中世の琉球では、中国、朝鮮、南海諸国などとの海上貿易が盛んで15 世紀中ごろにはシャム(現在のタイ)からラオロンという蒸留酒を輸入しており、次にその製法が伝わり、琉球王朝の宮廷酒となっていったという説。
2.中国 ▶ 朝鮮半島 ▶ 対馬経路説
15 世紀には、朝鮮で蒸留酒(高麗酒)が造られ、対馬にもたらされたという記録があります。そこで蒸留酒の飲用が始まり、製造に至ったという説。
3.中国南部 ▶ 東シナ海 ▶ 日本本土経路説
14 〜15 世紀頃、倭寇(わこう)と称する、武装商船団(海賊)が東シナ海中心に進出して、海上取引品の1つとして蒸留酒をわが国に運んだという説。
4.中国(雲南) ▶ 福建 ▶ 琉球経路説
雲南の蒸留機は日本の古式蒸留機(カブト式)と同類で、製造もバラ麹の泡盛に類似。また薩摩特有の古式蒸留機(ツブロ式)と同様のものも福建一帯に分布している。15 世紀ごろと思われる。

日本における蒸留酒造りの始まり

〜沖縄で泡盛誕生
朝鮮の記述、李朝実録(りちょうじつろく)によると、1477年ごろに琉球にて蒸留酒があったと記されており、日本で初めて製造された蒸留酒、泡盛が誕生したと考えられます。

本州における蒸留酒造りの始まり

〜薩摩で蒸留酒誕生
1546年、薩摩国に上陸したジョルジェ・アルバレスがフランシスコ・ザビエルに書き送った「日本の諸事に関する報告」に「米から造るオラーカ(oraqua )」という一節が書かれていますが、このoraqua こそ、原語がアラビア語のaraq(蒸散)で蒸溜酒を意味します。従って、「米から造るオラーカ」とは、米焼酎ということになります。
よって、1546年にはすでに米焼酎が飲まれていたことを考えれば、少なくともその50年程前の16世紀初頭には米焼酎が存在していた可能性が高くなります。
現在では鹿児島県の焼酎といえば、誰もが芋焼酎を挙げるでしょうが、最初は、米や稗、粟、キビなどの穀類を原料にした蒸留酒が造られていました。芋が主流になるのは、これより150〜200年後で、1705年に当時の薩摩藩の前田利右衛門という侍が沖縄からさつまいもを持ち帰り広めたことにより、芋焼酎造りが始まったとされています。

泡盛の歴史

泡盛は1470年ごろに琉球で造られるようになったと考えられています。泡盛以前に琉球で飲まれていた蒸留酒は、シャム(タイ)のラオロンでした。1420年ごろから始まったシャムとの交易で、南蛮甕入りのラオロン(南蛮酒)という蒸留酒を王家が接待用に取り入れたといわれています。しかし、15世紀後半になると、シャムとの交易が減少。それを機に独自の蒸留酒を造るようになったと考えられています。

薩摩では清酒造りの技法が取り入れられ黄麹菌が使われていたのですが、常夏の琉球では腐造の危険性が高く、それを防ぐためにクエン酸生成力の強い黒麹菌を使用し始め、今日の泡盛の原型が整います。 当時の泡盛は、庶民の酒ではなく宮廷酒(ロイヤルワイン)として、かつ首里三箇の村々の王府に認められた30家(後に40家)だけが醸造を許されていましたが、明治9年から民営自営化になりました。

17世紀、薩摩の島津氏配下になり、泡盛は薩摩を通して江戸幕府に献上され極上酒の扱いを受け、薬用としても供されるようになりました。原料の米は、明治時代までは地元産の米や粟が主流であったようですが、それ以降は、タイ米や東南アジア系の米に切り替えていくようになります。 明治時代以降は今日のような全麹仕込が一般的になり、品質もさらに向上、安定していきました。

泡盛における麹の歴史

泡盛というと、黒麹菌を使用することが大きな特徴でありますが、1534 年の明書使琉球録の記述によると琉球に焼酎製法がシャムより伝わっていたとされています。その後 1661 年ごろに薩摩に送られていた羽地朝秀(後の琉球摂政)が薩摩藩からバラ麹を持ち帰ったといわれ、それが黄麹(清酒麹)であったといわれています。 泡盛の最大の特徴ともいえる黒麹菌が、いつごろ現れたのか正確なところは分かっていません。

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